クラウンとは道化のことです。
日本では赤鼻を付けたピエロという存在が有名ですが、あれはクラウンというジャンルのほんの一部です。チャップリンにとってのチャーリー、ロワート・アトキンソンにとってのMr.ビーンも実はクラウンなのです。
クラウンの本質は「笑われる自分」です。
自分が持っている弱さ、醜さ、愚かさであり、誰しもがそれぞれのクラウンを持っていますが、普段の自分がそれを隠しています。
その普段の自分とは「カッコつけの自分」です。
とても大人で、社会的で、負けず嫌いな自分は、人に笑われないように、恥ずかしくないように、偽り、繕い、隠して生きていこうとします。
ですが、舞台上ではそういう自分はお呼びではないのです。
演劇の世界のキャラクターは、皆弱く、醜く、愚かです。
お客さんは人の本質を観て、共感して、笑ったり泣いたりしたいのです。
クラウンのワークはとてもシンプルです。
まず、世界最小のマスクと言われる「赤鼻」を付けます。
そして、お客さんの前に出て、お客さんのウケを取ります。
これだけです。
ここで誤解して欲しくないのは、「お笑い」「コメディ」ではないということです。
面白おかしいことをやることがクラウンではありません。むしろその逆です。
「逆?」と思うかもしれませんが、実はお客さんはつまらないことをやった時の方が笑います。
正確にいうと、つまらないことをして、失敗した姿を晒すと、笑う。
つまりクラウンにとって大切なのは、失敗をすることと、それをオープンにすることなのです。
なぜなら、失敗した時の自分は、皆弱く、醜く、愚かだからです。
しかし、先述した「カッコつけの自分」が舞台に出てる時はこれが出来ません。
なんとか自分を繕い、偽り、誤魔化し、面白い、強い、カッコいい自分でいようとする。
そんな人を、残念ながらお客さんは好きにはなりませんし、笑いません。
お客さんに笑われるためには、その「カッコつけの自分」を脱ぎ捨てる必要があります。
これはとても怖いことです。せっかく人に見せないようにしていた自分を見せなきゃいけないわけですから。
でもその鎧を脱いだ中に、その人の本当の魅力があるのです。
そして、その魅力こそが、舞台上で輝くものであり、キャラクターの本質と繋がるものなのです。
僕はこれこそが、舞台での在り方の原点だと思います。
鎧の上に服を着たってぎこちないだけです。ありのままの自分で舞台に立ってみる。
そんな体験と実感が出来る、唯一無二のワークショップです。